考えるということ
ただ単に敷かれたレールの上を歩く。
当たり前、普通...etc...平均的な子供を作る義務教育。
変な子、変わっている子を言い方は不適切だが排除する社会。
みんなと同じが当たり前で、みんなと同じことをしておけば良い。
そして、何も考えずにただ大きくなっていく。
大きくなったヒトたちは選挙権という与えられた権利を放棄する。
自分には関係ない。自分のこと以外は無関心なヒトたち。
車の運転を誤って子供をひく老人。増える高齢者。
少子化などと叫ばれているのに都心では待機児童が後が絶えない。
保育所、幼稚園を作るといえば、子供の声がうるさいと言って建設を反対するヒト達。
増える高齢者、減る子供。
国はお金をただ老いを待つだけのヒトにじゃなくて、
これから生きていくヒトの方に多くすべきではないのか。
そんなことも考えず、昔からの風習、
目上の人を敬えを乱用する。
敬うに値する老人は減った。
電車などでイチャモンをつけてくる老害。
ただただ働き、国に税金を納めて定年まで働くヒトたち。
ブラック企業なんて、続ける社員がみんなやめてしまえばなくなる。
企業が成り立たないから。
続けることが全て言い訳じゃない。
頭を使って考えないと。
家庭のため?家族のため?四十を超えての再就職の難しさ?
あなたの取り柄は何ですか?
ただ漠然とレールの上を歩いて来た人間と
常に立ち止まって考えた人間。
どちらが上手く生き、活きるか。
もう遅い?ヒトは考える葦でしょ。
いつだって変われる。考え行動する。それが明日に続く。