数字が全てではないのは知っているが…
人に物事を提案するときには数字は欠かせない.
大人はいつだって数字を求める.
数字が万物の物事を正確に測る物差しであるかのように…
人を納得させるにはある程度の数字がモノを言う.
実績が無い人間が言うより,ある人間の方が同じ発言であったとしても後者の方が説得力があるようにさえ思える.
親と子の関係もしかり.
親の考えが,オールド思考…とまではいかないものの,子供がしたいことを親の価値観などで制限するのがいつだってあるのは少なくとも間違いでは無いだろう.
親の方が人生経験は上であるし,私は学生という身分であるため大学生といえど未熟であるのは仕方がない.
大きなお金を使おうとする時,必ず親に止められる.
使うな貯めとけと.けれど,お金は寝かしたところで大きくはならない.
だからと言って闇雲に使ってもそれは浪費でしかなく,減る一方だ.
仮想通貨を買おうとすれば,『そんなバカなことをして』と非難される.
ろくにバイトもできない学生は黙って勉強と部活動に勤しんでおけということだろう.
そんなのは高校生までで終わりだ.
確かに,親からの仕送りと学生借金で生きているのは否定しないし,それが自分のお金ではないのはまず間違いない.
しかし,せっかく学生借金を借りているのだからそれをどう使って行くかは自分次第.
大学生の時間があるときにもっとお金を有効に使ってたくさん体験していく…
自分への投資.未来への投資に使っていこうではないか.
お金が全てではない.しかし,そのお金を稼ぐことのできない人間が他人から評価してもらうには難しい.
評価してもらうにはある程度の数字がなのだ.
数字は実に厄介なものだ…