人生道中膝栗毛

料理を作るのが好きな主夫みたいな体育学部の大学生です。

知らないなら仕方がない。

関節リウマチと判明してから早一週間が過ぎ、もう11月も終わろうとしている。

 

みんな手首が痛いことに対して笑ったりしている人が多い。

 

中には心配している人もいてくれている。

 

心配してくれる人には結構リウマチについて知っている人がいてスゲーと思うこともしばしばある。

 

手首痛いぐらいなんともないだろとか言われて、

 

「まぁ自分がなったことないからわからんからしょうがないよね〜」

 

と最近思ってる。そりゃわからんでしょ。

 

手首が痛くて曲がらなくて原付や車を運転するときにどれだけ面倒になるのをわかってないから仕方がない。

 

日常生活が不便になるし、携帯を持つのも痛い。

 

でも仕方がない。知らないのだから。

 

知らないのに言っても通じない。

 

人は自分の経験の範囲でしか人に言えないし、自分の経験を人にも押し付ける。

 

私の身近なものなら、柔道だろうなと思う。

 

チームによって教え方が違うし、練習メニューも異なる。

 

監督やコーチによって大きく変わる。

 

そして彼らは基本的に自分の経験でやっていく。

 

私が高校の頃、練習試合で負けた選手が監督に拳で殴られているのを目の前で見たことがある。

 

体罰が問題になっている時期である。

 

周りには何人かの他のチームの監督がいたが誰もそれを止めない。

 

異様な空間であった。

 

殴るのは指導の一環なのだと言わんばかりに殴る監督。

 

こいつが殴っている生徒の親はどんな気持ちでこの子を育ててきたのだろうか。

その親が息子を殴られているのを見てどう思うのだろうか。

 

そのとき思った。

 

この監督は殴る以外に生徒を指導する方法を知らないのだなと。

 

 知らないからと言って別に罪になるわけではないが(体罰は罰せられるべきだと強く思うが)何かしら人を傷つけているのだろう。

 

こうやって自分に障害となるものがあることで見えるものが今ここにある。

 

それも何かしらの天からのメッセージかもしれない。